私の場合
何かにつけて「自己分析が重要」ってよく聞きます。たしかに就職や転職時にはとても重要だと思います。これって突然答えが出ないから、常日頃から自分と対峙して「自分は何が好きで、何に成りたいのか?」を考える習慣が重要なんだと思います。 ちなみに私は、週末の1時間ランニングを「自分と対峙する時間」に充てています。走ることよりも、考えることを目的にしているので、もう6年近く続けることが出来ています。◎大学時代(1994年〜1998年)
(1)バスケットボールを通じて
地元の大学に入学して、すぐ体育会バスケ部に入部しましたが、すぐ辞めました。部の雰囲気とか風潮が嫌で合わなかった、と言えばそれまでです。当時は、すぐ辞めてしまった自分が本当に嫌で、自己嫌悪に陥ってました「自分ってこんなに根性無しやったんや...」と。
でもバスケは好きだし、どうすれば良いだろう?と必死に考えて、自分でバスケットサークルを立ち上げることにしました。メンバーを集め、京都の社会人リーグに登録して3年間続けました。それが結構楽しかった。その時に思ったのは、自分は主体的に行動したほうが、何でも楽しめるということでした。
(2)ハーレー乗りの職業「自由業」に憧れて
20歳くらいで、とにかくハーレー乗りにあこがれていました。当時はホンダSteedという国産アメリカンバイクを改造して、走りまくってました。実はこのバイクの改造が自己主張であったと、今は思っています。違法改造で警察にもよく捕まりましたが...。
当時よく読むハーレー雑誌にあった、ハーレー乗りの職業紹介で「自営業」「自由業」という言葉が好きでした。大学卒業前に大型二輪免許を取ったけど、ハーレー乗りって「会社員」じゃ、なんかかっこ悪いなぁ、って思っていたことを覚えています。そこから「自営業」「自由業」という言葉、職業に憧れ始めていました。
(3)哲学をして
これはあまり言いたくは無いのですが、文学部で哲学をやっておりまして...。他の人よりも「人生」や「幸福」「生死」について、考える機会が多かったことも影響しています。「自分らしく生きる」「アイデンティティ」という言葉が大好きになったのも、哲学の影響だと思っています。(大学時代は勉強は全く出来ませんでしたが... (´д`)
◎会社員時代 1社目(1998年〜2001年)
会社員時代のストレスってほとんど人間関係ですよね。苦手な人と四六時中ずっといることが、耐えられない性分でした。ここからどうすれば脱却できるか、を真剣に考えました。異動という手段もあっただろうけど、当時はIT企業に転職したい!という思いが強く、3年間勤めた後に退職してから、転職を考えるという道を選びました。
◎会社員時代 2社目(2001年〜2009年)
つらい転職活動の結果、念願のIT企業、しかも当時は日本でも有数のソフトウェア会社に運良く入社することができました。仕事はきつかったけど、好きな事を思いっきりやらせてもらえて、ソフトウェア、著作権、マーケティング、法務、WEBについて学べたことが本当に大きかった。
また、ここで培った人脈、仕事のノウハウを持ってすれば起業してやっていける、とも思いました。(それは結果的に、全くの思い違いで考えが相当甘かったのですが...)でも、やっぱり人間関係だけは、順応できなかったと実感。
■自己分析をして分かったこと、起業のルーツについて
- 多感な大学時代に考えていたこと、行動した事の影響が大きい。
- 会社員時代、2社勤めてみたけど自分がサラリーマンに向いていないことを実感。人間関係については、どこへ行っても同じなんだと気づいた。
- 人が作り上げたコミュニティ(部活、会社など)に自分は順応できない、ことが分かった。
- しかし、自分が作ったコミュニティ(サークルなど)では自分らしく、楽しくやっていけることに気づいた。
- 会社に順応できない=人間失格・脱線、ではないことが分かった。
- 今までは大学卒→上場企業就職→転職IT企業、出世までは、レールにまったパッケージ人生を歩んでいたけど、レールが無くても走れることに気づいた